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  第9話 紳士な獣


多少は草の生えていない部分があるだけの、道なき道を進んでいく。
木の根や石が転がっているが、草に紛れて足元がよく見えない。
運動神経のいい司とセイルーンは苦も無く歩いているが、アンネはかなり疲れていた。
普段は、アスファルトしか歩かないし、それも大した距離ではない。
山登りは、小学生のころ遠足で行ったきりであった。

「……」

だんだんと他の二人との距離が開いていく。
しかし、周囲を見ながら歩く司と、白い生き物たちと話しているセイルーンはそれに気がつかない。
声をかければ待ってくれるだろう。
しかし、足手まといにはなりたくなかった。
大きく深呼吸をして、痛みを訴える足に力を入れる。
そのとき、背後で物音がした。

「…誰かいるの?」

今朝、別れた杏か棗だろうか。
しかし彼らなら、声をかけてくれるだろう。
ゆっくりと振り返ったが、何もいない。

「…気のせい…だったのかな」

前を向くと、司の背中がまた遠くなっていた。

「さ、がんばろう」

歩き始めたときだった。

「大丈夫か」

聞いたことのない男の声がした。
低音の落ち着いた声である。

「誰?!」

勢いよく、声のした方を振り返る。
木陰にひっそりと、獣の姿があった。

「…おおかみ?」
「ああ。狛(はく)という」
「はく…」
「あの人間たちの仲間なのだろう。早くしないとはぐれるかもしれないぞ」

驚きの余り復唱することしかできなかったアンネだが、狛と名乗った狼の助言に、はっとした。

「そうだ、急がないと!」

慌てて前を向いたが、二人の姿はもう見えなくなっていた。
とりあえず走り出したが、3歩目に木の根につまずき、転んでしまった。

「大丈夫か」
「へ、平気です…」

少し近づいてきた狼に聞かれたが、あまり大丈夫ではない。
転んだ拍子にひねったのか、先ほどまでとは異なる痛みを感じた。

「…掴まれ」
「え?」
「背中に乗るといい。すぐに追いつける」
「でも…」
「気にするな。ここで会ったのも何かの縁だろう」
「…」
「あいつらが信用したのなら間違いないだろうしな」
「あいつら?」
「白い靄のような生き物だ。さ、乗れ」

そう言うと、狛はアンネの傍らで膝を折った。

「あ、ありがとうございます」

おそるおそるその背中に乗る。
堅そうに見えたその毛並みは、意外とふわふわとしていた。

「では、行くぞ」

ゆるやかに走り出した。
自分の足ではとうてい出せない速さで進んで行く。
しかし、恐怖を感じることはなかった。
生き物特有の暖かさがあったからかもしれないし、紳士的な狼がそっと走ったからかもしれない。

 

狛の言葉通り、すぐに二人に追いついた。
二人は何事か話していたようだったが、足音に気がついたセイルーンがこちらに気がついた。

「アンネちゃん!」

駆け寄ってきたセイルーンの少し手前で、そっと狛は立ち止まり、身をかがめた。
その毛に掴まりながら、もたもたとアンネが降りる。
すっと、司が手を差し伸べた。

「あ、ありがとうございます、司さん」
「いや」

どきどきしながら手を借りる。
地面に降りると、待ちかねたようにセイルーンに抱きつかれた。

「心配したんだよ!探しに行こうかって、話してたんだから!!」
「…ごめん」
「何事もなくて良かった」

心底ほっとした顔をするセイルーンに、あの時、無理せず声をかけるべきだったかと、少し後悔をした。

「ごめ」「で、こちらは?」

謝ろうとした言葉が重なった。

「狛という。この山の狼の群れをまとめている」
「わ〜。よろしく、狛さん」
「ああ」

完全にタイミングを外した。
しかし、セイルーンもあまり気にしていないようで、癪なので謝るのはやめておく。
狛と話す彼女を何とはなしに見ていると、司が傍に来た。

「心配した」
「司さん…ごめんなさい」
「いや…平気?」
「えっと…」

言葉につまる。
足の怪我は大したことはないだろうが、この険しい道もほとんどない山を登るのは、かなり辛い。
だが、それを言ってしまうのは憚られた。

「あんね〜!!」
「さがしたぞ!!」
「わ〜!」

木立の中から、姿の見えなかった白い生き物たちが飛び出してきた。
次々とアンネに飛びつく。

「わっ」
「どこにいたんだよ〜」
「おれら、このあたりうろうろみてたんだぞ」
「あ、はくもいる」
「お〜、はくだ、はく」
「ひっさしぶりだな〜、げんきか?」
「ああ。おまえたちも元気そうだな」

アンネに纏わりついたまま、狛と話し始めた。
どうやら、アンネの姿が見えないことに気がつき、探していたらしい。
そのわりに、検討違いの方向から姿を見せたのが、少し気になるところだった。

「で、はくもいっしょに行くのか」
「山頂か。…そうだな、では行こうか」

そう言うと、狛は再びアンネの前でしゃがんだ。

「乗るといい。ここからさらに道が険しくなる」
「でも…」
「気にするな。それほど時間もかからないしな」
「…ありがとございます」

こうして、一行は頼りになる仲間を手に入れたのである。

 


(2013年7月1日)

 




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