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  第2話  靄

 

不ぞろいに木が生えている山の中。
まだそれほど奥深くはないのだろうか。
木の葉を通して、やわらかな日差しが地面にこぼれている。
秋とは思えないほど、やわらかく、暖かい空気のなか、白い靄のようなものが、木の間を流れていく。
丸い、柔らかそうな物である。
風に流されているのかと思うと、ふいに方向を変え、木の陰に逃げるように隠れた。

 

しばらくすると、小さな足音が聞こえてきた。
枯葉を踏むその音は、かなり小さく、一定の速さを崩さない。
そして、姿を現したのは、旅姿の少女であった。
笠でその容貌を見ることはできないが、足の運びや、身にまとうものから、育ちの良さがうかがえる。

 

ふと、その足止まった。
すると、音もなく頭上の木から、人影が降ってくる。

「鴉」

全身、黒色の動きやすそうな服装をした人物である。
しかしその顔は、同じ色の覆面で隠されており、見ることはできない。

「…」

鴉と呼ばれた人物は、無言で何か包みを取り出し、少女へ差し出した。

「…いや、まだ休息は必要ない。お前こそ、疲れていないか」

無言で首を振ると、少女の気持ちを探るようにみつめる。

「そうか…」

声をかけ、眼を鴉の方へ向けながらも、少女の意識は周囲の木立へと向けられているようである。
問いかけるような鴉の眼に、ようやく少女は意識を向けた。

「…鴉。掌ほどの小さな動物は、何かいるか」

ふいに、そんなことを言う。
懐に手を入れ、鴉が取り出したのは、一匹の栗鼠だった。しかも、生きている。
茶色い毛皮の間から、黒く小さな瞳で、少女を見上げた。
たじろいだのか、小さく身じろぎした少女だが、ゆっくりと手をのばし、栗鼠に触れる。
小さな生き物は、怯えるわけでもなく、少女の腕を伝って、懐に潜りこむ。
しばらく動いていたが、やがて眠ったのか、静かになった。

 

「…なぜ、栗鼠を持っている」

少女に問われた鴉は、無言で目をそらした。

「まあいい…栗鼠は、白くないし、空も飛ばないな…」

独り言であろうか、少女はそうつぶやくと、ぼんやりと周囲を見渡す。
そんな彼女の背後で、小さな靄のようなものが宙を舞った。
音もなく鴉が、それを片手に捕らえ、少女に見せる。

「…何だ、これは…」

鴉の手には、白いものが握られていた。
掌ほどの大きさで、どうやら、逃げようと動いているようである。生き物なのであろうか。
しかし、動物の毛というよりは、植物の綿毛か、あるいは埃のように見える。
少女が摘みあげると、嫌がるように身をよじる。
その様子は生きているようであった。

「…生き物…なのか…?」

少女が少し顔を近づけると、小さく、甲高い声が聞こえた。

「はなせよ〜」

少女は、鴉を見上げるが、言葉のない問いは、首を振ることで否定される。

「だから、はなしてくれってば〜」

また、同じ声が聞こえた。
どうも、少女の手元から聞こえるようである。

「…今喋ったのは、お前か」

白い生き物を顔の前につまみあげ、少女がそう声をかけると、何とも形容しがたい声をだすと、白い体を強くねじり、その手から逃れた。

「そうだよ〜。まったく、乱暴だな〜。そんなじゃ嫁に行けないぞ」

生意気なことを言いながら、ふわふわと少女の目の前を漂っている白いもの。
鴉がまた捕まえようとするのを目で制し、少女が語りかけた。

「…お前は、一体何だ」
「ん〜、何っていわれてもなぁ…」
「自分のことだろう、何故わからない」
「じゃあ、おまえは何?」
「…川向こうを治める、領主の娘だ」
「ふ〜ん、なまえは?」
「…楓」
「かえで、か〜」

 

「かえで?」
「かえでだって?」

少女が名乗ると、同じような甲高い声と共に、木の間から、何かが飛び出してきた。
一つ二つではない。いくつもの影が、二人を取り囲む。

「おまえ、かえでか?」
「にせものじゃないのか?」
「かえでは、目があかいんだぞ」

先ほど鴉が捕まえたのと同じような、白いものである。
口々に楓と名乗った少女へ喋りかけるが、同時に話すため、とてもではないが、聞き取ることはできない。
それ以上に、その独特の声は、人間の耳を痛めつける。
しかし、それに気がつかないのか、白い生き物たちは甲高い声で話し続け、少女の顔色が徐々に変わっていく。
すると、その様子に気がついた一匹が、顔に近づいた。
最初に鴉につかまった一匹だろうか、他と比べると、少し体格が良い。

「楓、大丈夫か?」

他のものも、やっと楓の様子がおかしいことに気がついたのか、静かになった。
鴉も心配そうに様子を見ている。

「…お前たちは、この山の生き物だろう」

楓に問われると、白いものたちは、お互いの様子を伺い、代表なのだろうか、先ほどの一匹が話し始めた。

「ん〜、昔はいろんなとこに行ったりしたんだけどな〜。近頃はずっとこの山にいるぞ」
「ならば、なぜ私のことを知っている」
「ん〜…多分、山を出てたときに、見かけたりしたんじゃないのか?」
「そうか…」

そう言うと、気持ちを切り替えるように首をふり、楓はまた問いかけた。

「お前たち、この山に、若い女は来なかったか」
「お前じゃなくて?」
「…私以外で、だ」

それを聞くと、他のものと相談するように一塊になった。
何事か話しているようだが、聞き取ることはできない。
白い靄がうごめいているように見えるだけである。
しばらくして、意見がまとまったのか、また一匹が楓へと近づいた。

「このあたりには、人間は誰も来てないってさ〜。もっと奥のことは、おれたちにはわかんないよ」
「…そうか」

少しうつむき、何事か考える様子を見せたが、楓はすぐに顔をあげた。

「鴉、もっと奥へ進むぞ」

そう言うと、振り返ることなく進んでゆく。鴉も黙って、姿を消した。

「お〜、きをつけてな〜」
「へんなのにつかまるなよ〜」
「またな〜」

口々に声をかける靄たちを見ることなく、少女は山の奥へと消えていった。

 

「楓…大丈夫かな〜…」

一匹がそう言うと、他のものが反応する。

「あいつ、ほんとにかえでなのか?」
「かえで、あんなにおおきくなかったぞ」
「そうだ、そうだ〜」
「にせものじゃないの〜」
「ちがうよ、あいつ、紅い瞳だったもの。…きっと、おれたちが知ってる楓だよ」

そう言うと、不安そうに、もう見えない少女の影をみつめるのであった。

 

 

幕間  追憶

 

春の日差しの中。穏やかに風が吹き、どこからともなく、花の香がする。
一面の若草の間に、白や黄色の小さな花が咲き、命の輝きが見えるようである。
そこに、小さな人影があった。
年の頃、十ほどであろうか。
淡い色の髪と、穏やかな面差しが印象的な少女である。
小さな声で唄いながら、足元の花を摘んで、花飾りを作っている。

「ねえさま〜」

そこに、鈴を転がすような声が聞こえた。
しかし、小さな声である。
座っている少女は聞こえなかったのか、反応しない。

「…ねえさま?」

少し、声が近づいてきた。
探し人が見つからないからか、その声は少し震えている。

「…ねえさま、いるのでしょう?」

三度目の声にやっと気がついたのか、少女は唄をやめ、立ち上がった。

「ねえさまっ」

草を掻き分けてやってきたのは、五つほどの幼い少女であった。
愛らしい顔つきの、紅い瞳が目を引く少女である。
彼女は姉に駆け寄ると、きゅっと抱きついた。

「ごめんなさい、楓。少し夢中になってしまって…」

そう言うと、座っていた少女は、作っていた花飾りを見せた。
様々な色の花が編みこまれているが、まだ完成には至っていない。

「ほら、素敵でしょう。きっと楓に似合うわよ」

そう言うと、妹の手を引いて、無造作に草原に座り、また作り始めた。

「桜ねえさま…お着物が…」
「ふふ、平気よ。もし叱られたら、私のせいにすればいいわ」
「でも…」

そう言って、妹は座るのを悩んでいる。
そこへ、ふわふわと漂ってくるものがあった。
靄のような、植物の綿毛のような、不思議なものである。
それが、風と異なる動きをしたかと思うと、いくつかに分かれた。

「さくら〜」
「かえで〜」
「ひさしぶりだな〜」
「元気か〜、二人とも〜」

口々に声をかける白いもの。
おそらく、生き物なのであろう。
それに驚く様子もなく、楓と呼ばれた妹も、桜という姉も対応している。

「私はこの通り、元気よ」
「みんな、今日はどこに行っていたの?」

幼い子どもらしい、輝いた目に、自慢するように白い生き物たちは応える。

「くものうえ〜」
「そうそう、おひさまのちかくにいったんだ」
「のぼっていくと、あつくなってきてな〜」
「さいしょはおひさまにさわるつもりだったんだけどな〜」
「途中であきらめて、かえってきたんだよ」
「そうなんだ…」

楓の目は、その高さを確認するように、太陽へと向けられた。
しかしすぐに、何かにさえぎられる。

「…ねえさま?」
「楓、あまりお日様を見ていると、目が痛くなってしまうわ」

桜が、その手で遮ったのであった。
不服そうな楓に、困ったような桜だったが、何か思い付いたようで、反対の手にもっている花飾りを渡す。

「わぁ…すてき…」

すると、予想通り、先程までの不満を忘れ、楓は桜の隣に座る。
こぼれる様な笑顔であった。

「ねえさま、ありがとう」
「いいのよ。楓が喜んでくれて、嬉しいわ」

暖かな雰囲気。
そんな二人を、春の空気と、白く小さな生き物たちが見守っていた。

 


(2013年4月15日)


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