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  第8話 主

 

大小様々な岩の先、山頂にあたる所には、鈍い光を放つ、見上げるほど大きな岩があった。
その上には、人影がある。
しかし、太陽を背にしているため、どんな人物なのか、見ることはできない。
風に、まとっている服がなびいた。

 

ゆっくりと登ってきた少女は、そこに人がいることを知っていたのか。
落ち着いた様子で声をかけた。

「…やはり、貴方だったのですね…暁様」

風に乗るようにして、足音なく降り立ったのは、不思議な装束の男であった。
神話の人物のような、白色のゆったりとした服である。
その堂々とした佇まいは、社で会った男とは似ても似つかないが、少女は確信しているようであった。

「思い出したか」

男も少女の呼びかけを肯定する。
しかし、その話し方も振る舞いも、全く別の存在のようである。

「どうやら、呪符は役に立ったようだな」
「ええ…ありがとうございました」

鷹揚に話す男に対し、楓はどこか、硬い声で応じる。
傍らの鴉は、黙って見守っていた。

「それで、姉は見つかったのか?」
「…」
「…まあ、無理だろうな。桜は俺が匿っている」
「…そうですか」
「その様子だと、気がついていたようだな。鴉の助言か?」

男が視線を向けるが、その視線から逃れるように鴉は下がった。

「姉を…桜を返してください」

かわりに楓が男の目の前に立つ。
握り締めた手が、小さく震えている。

「何故」
「え…」
「何故、桜を返す必要がある?あいつが望んだから、ここへ連れてきたのに」
「しかし、姉上は必要な存在です」
「それはお前の言い分だろう。あいつは戻りたくないと言っている」
「そんなっ」

思わず詰め寄りかけた楓に対し、男は淡々と応じる。

「疑うなら本人に聞くといい」

そう言うと、男は空中で何かを引くような仕種をした。
見えない幕が上がるようにして、人影が現れる。
男の隣にいたのは、桜であった。
捜し求めていた姉の姿に駆け寄ろうとする楓を、暁の声がとめる。

「桜、言ってやれ」

暗い表情の桜に促すが、俯き、口を開かない。

「姉上」

硬い声で楓が呼びかける。

「…家には、戻られないおつもりですか」

 

桜は、小さく息を吐き、ゆっくりと顔をあげた。
姉と目が合って、妹は身じろぐ。

「…ええ。私はこの山で過ごします。…父上や皆にも、そう伝えてください」
「…嘘でしょう」
「いいえ。…人の世には、もう、戻りません」

静かな声で自らの気持ちを語る桜。
対照的に、楓はきつく眉を寄せ、必死に耐えているようであった。

「…私がいるからですか。…私が、姉様を差し置いて跡継ぎになったから…」

震える声で問いかけるが、返事は無かった。
ただ、目を合わせることなく、黙っている。

 

「…もう、わかっただろう。…諦めて帰れ」

二人の間に入り、暁は桜の手を引くと、踵をかえす。
桜も促されるままに歩き出した。

「…何のつもりだ」

足を止め、暁が言う。
その背後で、楓が刀を構えていた。
しかし、その切っ先は震え、顔色も悪い。

「俺に刃を向けるのか」
「…姉様を…返してください」

苦しげに途切れ途切れに言うが、その視線は、まっすぐ暁の背中に向けられていた。

「返すも何も、桜の意思でここにいる。…まだ、わからないのか」

振り返って、暁が言う。
桜は、背を向けたままであった。

「わかりません。…でも、私の意思はわかります」

その言葉に、男は眉を持ち上げた。

「ほう…言ってみろ」
「…私は、姉様が好きです。…姉様と、ずっと、一緒にいたいのです」

男は小さく笑った。

「相変わらず我侭だな。…桜の立場を考えたことはあるか」

少し口調が変わった。重い、静かな問いかけであった。
その視線は楓から逸れることはない。
何か、目には見えない大きな力によって、威圧される。
たじろいだ楓を、そっと後ろから支える影があった。
鴉の手に支えられ、止めていた息を吐く。
ゆっくりと自らの足で立つと、刀を握りなおした。

「正式な跡取りがいるのに、自分を持ち上げようとする家臣。妹に虚仮にされていると、同情する周囲。…そして、いつまでも手のかかる妹。…そんな環境だ。お前はそれでも、共に居ることを強要するのか」
「…姉様が辛い立場なのはわかっています…でも、私は姉様が好きなのです」
「好きなら、相手の思いを尊重しようとは思わないのか」
「…それならば、私がいなくなればいいのです。姉様が戻るのに邪魔なのは、私ですから」

自嘲する笑みを浮かべた楓に、暁は不快そうに眉を寄せた。

「姉様のためだけに、これまで生きてきました。この身が姉様の邪魔になるというのなら、惜しくありません」

背を向けたまま聞いていた桜の背中が小さく揺れた。

「姉様…私は、邪魔でしょうか」

楓の目は、桜に向けられていた。
しかし、桜は振り返らない。
その両手は、きつく胸の前で握られている。

 

「…わかりました」

そう言って、楓は小さな笑みを浮かべた。
そのまま、刀を逆手に持ち替えると、自らの胸に刺す。

「っ馬鹿、やめろ!!」

初めて男が声を荒げた。
強い風が吹き、高い音が鳴る。
折れた刀の先が桜の足元近くへ刺さった。その刀身から、紅が地へと広がっていく。

 

「楓っ!!」

振り返った桜の目に、力なく背後の鴉に凭れかかる妹の姿が飛び込んできた。
強い、鉄錆の匂いがする。

「楓、かえでっ!!」

足元の石に躓きながら、駆け寄る。跪き、その頬に手を当てるが、血の気を失い、青白い。

「…ねえ…さま…」
「楓!!」

薄く目を開いた楓は、姉の姿を確認して微笑んだ。

「…これで…家に…」
「いいのよ、そんなことはもういいから!!」

反対側では、鴉が手当てをしている。
傷口に当てた白い布が、一瞬で真紅に染まった。
楓が震える腕を姉に伸ばす。
その手を取ると、桜は強く握りしめた。
頬が、涙で濡れている。

「…ねえさま…大好きです…」
「私も楓が好きよ!だから、死なないで!!」

眼を閉じる楓。
桜は、とめどなく溢れる涙を拭う事無く、妹に声をかける。

 

そんな様子を、暁は少し離れた場所から見ていた。
やがて、歩きだす。

「…どうする、桜」
「…暁様…」
「今なら、願いの変更を認めてやろう」

二人へ歩み寄りながら話すその姿は、冷たい神々しさがあった。

「ただし、俺の出す条件を飲んでもらう。…どうする」

楓と繋いでいない方の手で涙を拭うと、立ち止まった暁の金色の目を見た。

「お願いします。楓を助けてください」
「…わかった」

迷いのない口調であった。
男は桜の隣に膝を付くと、傷口に手を翳す。
鴉は手を止め、見守っている。
気配に気がつかないのか、あるいはその気力もないのか、楓は目を開かない。
暁の掌が淡く光ると、その光は楓に吸い込まれていく。
段々と蒼白だった楓の顔に、色が戻り、瞼が小さく動いた。
静かに暁は後ろに下がる。

 

「楓!」

紅い眼に最初に映ったのは、涙を流す姉の姿であった。

「姉様…」

体を起こした楓を、後ろから鴉が支える。

「姉様…ごめんなさい。…でも、私は姉様が戻られないのならば、ここで命を絶ちます」
「何を言うの!」
「姉様の邪魔になりたくないのです。…大好きですから」

そう言って、楓は儚く笑う。
桜は俯いてしまった。
膝の上で握った両手が震えている。

「…姉様?」

勢いよく顔を上げると、桜は楓の頬を打った。
その手は、小さく震えている。

「馬鹿なことを言わないで!」
「姉様…」

打たれて赤くなった頬を押さえながら、楓は姉の顔を見た。
こちらを睨むその眼には、涙が浮かんでいた。

「私はあなたが死ぬことなんて、望んでいないわ!」
「ですが…」
「楓の負担になりたくないから、家を離れたのよ…邪魔になんて、思ったことない…」

俯いた桜の膝に、水滴が落ちる。
沈黙が広がった。

「二人そろって、馬鹿だな」

言ったのは、暁である。
優しい笑みを浮かべていた。

「好きなら一緒にいればいい。お互いに気をつかっても仕方なかろう」
「ですが…」

桜は反論しようとした。
それをさえぎって、暁が言う。

「ああ、願いの条件をまだ言ってなかったな。大丈夫だ、難しいことは言わない」
「…何でしょうか」
「楓と共に帰れ。…また、刃傷沙汰になっても困るからな」

その言葉に、姉妹は正反対の反応を示した。
片や笑顔、片や困惑した表情である。

「ありがとうございます、暁様!」

明るい声で言ったのは、楓であった。曇りのない、少し、幼さを感じる笑顔である。
妹の姿を見て、桜も諦めたように息を吐いた。

「…約束ですもの…仕方ありません…ね」
「当然だ、何としても守らせるからな」

そう言って笑った暁は、初めて人間らしく見えた。威圧する雰囲気や、神々しさはそこにない。

「では、家まで送ってやろう。またな」

そう言うと、強い風が吹いた。二人はお互いに相手を庇い、眼を閉じる。

 

 

風が収まり、先に桜が眼を開いた。
懐かしい、庭園である。雪の日に、二人が別れた場所であった。

「姉様…」

庭の様子を見ていた桜の腕の中で、楓が身じろいだ。

「大丈夫、楓」
「はい…姉様こそ、大事ありませんか」
「平気よ、ありがとう」

自然と二人の距離が開く。

「…しばらく留守にしてしまったから、お父様にお話ししなければいけないわね」

室内へ行こうとする桜の袖を、楓が小さく引いた。

「…どうしたの、楓」

立ち止まったまま、桜が声をかける。優しい声である。
その背中に、楓はそっと凭れかかる。

「…姉様…ごめんなさい…楓は、姉様の嫌なことをたくさんしてしまいました…」

髪で隠され、表情は見えないが、声の調子で泣いているとわかる。
背中で泣く妹に、桜は困ったように笑った。

「楓」

姉の呼びかけに、首を横に振る。

「少しだけ、離してちょうだい」

諭されて、しがみついていた体をゆっくりと離す。
振り返った桜は、穏やかに微笑んでいた。

「これで、顔が見えるわ。…泣かなくてもいいのよ」

そっと楓の涙を拭う。白く細い指が優しく動いた。

「私も、楓の気持ちを考えないで家を離れたもの」
「いえ、姉様は悪くありません!」
「では、楓も悪くないわ」

姉の切り替えしに、言葉が出ないのか、楓は俯いた。
その体を、桜は優しく抱き寄せる。

「これからは、ずっと楓と一緒にいるわ。…楓も、私と一緒にいてくれるでしょう」

顔を上げた妹と眼を合わせ、桜は笑う。
明るい笑顔であった。

「…はい。ずっと、一緒にいてください…」

目元に涙を残したまま、楓も笑う。
小春日和の秋の午後であった。

 


(2013年4月15日)

 
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