花のかんざし
葵がいつものように主の部屋に行くと、珍しく彼女はぼんやりと手元を見ていた。
「おはようございます、楓様」
「…ああ、おはよう」
元々は屋敷の侍女を取り仕切っていた彼女が、楓の身の回りの世話をするようになったのは、帰宅した桜の意見が反映されたからであった。
跡取りとしてやらねばならない事の多い楓。
しかし、屋敷の侍女はあまり妹を認めていなかった。
少しでも負担を減らそうと、姉は信頼できる葵に、お願いしたのである。
二人の父親である領主も理解を示し、屋敷内の仕事を減らし、楓中心に動けるように計らった。
その日から毎日、かなりの時間を共に過ごしているが、先ほどまでのようにぼんやりとしている姿は、初めて見た。
ふと、その手に簪を見つけた。
よく見知ったものである。
「それは、桜様からいただいたものですか」
まだ家を出る前、楓と親しくしていた頃に、桜が好んで身につけていた簪に似ている。
何年も前のことなので細かい装飾については曖昧だが、鮮やかな紅は、とても印象的だった。
「いや…これは姉上の簪を似せて作らせたものだ」
「そうでしたか」
作らせた、というわりには、楓がその簪にむける眼差しは何か悲しみがこもっている。
自分にはわからないが、まず間違いなく桜に関することだろう。
以前ならば自分から姉に声をかけていたが、まだまだ二人はぎこちない。
母のようにこれまでずっと見守ってきた葵は、小さく溜息をついた。
「今日の書状は」
「こちらです」
持ってきた紙を渡す。
気持ちを切り替え、仕事を始めた楓の横顔は、少し幼い丸みが消えてきていた。
しかし、彼女はまだ15である。
もっと大人を、いや、自分を頼ってほしかった。
しかし、自分では役者不足だろう。
こんなとき解決するのはいつも、決まっていた。
「楓、いいかしら」
昼食後、部屋で本を読んでいた楓の元に訪れたのは、桜である。
「どうぞ」
忙しくしている楓を気遣ってか、桜がこうして部屋を訪れることは珍しかった。
持っていた本を片付け、姉の座る場所を作る。
そんな楓の様子に、桜は微笑んだ。
「姉上?」
「いえ…昔と一緒だな、と思って」
うれしそうな姉の様子に、楓も小さく口元を緩めた。
「ねえ、楓。少し見せてほしいものがあるのだけれど」
「何でしょうか」
「花の簪、持っているでしょう?」
「はい」
普段は首の後ろで結んでいるだけの楓だが、正装のときは簪が欠かせない。
花の簪もいくつか持っていた。
「紅い花の簪、見せてくれないかしら」
姉の言葉に、思わず息をのむ。
あれを作らせた頃は、姉とはもう話すことも少なかった。
人に見せた記憶もない。
「葵に聞いたの。…持っているのでしょう」
その言葉に、今朝の出来事を思い出した。
苦しい時期に手に入れたものだからか、どうしても身につけることはできなかったが、常に手元に置いている。
「…どうぞ」
傍らの蒔絵の付いた箱から取り出し、姉に渡した。
…黙ってこんな物を作って、怒られるだろうか。
花が枯れたことは、すでに姉に話してある。
しかし、この簪を作らせたことはまだ、言ってなかった。
「綺麗ね。誰の作なの」
「…鴉の知人だそうです」
「そう…花とはまた少し違うけれど、素敵ね」
姉との思い出のために作ったものが、実際にその手にあるというのは、何か、気恥ずかしかった。
しかし、怒るでもなく簪を眺めている桜に、楓は戸惑った。
「あの…姉上?」
「ね、楓。つけてみてくれない」
「え…」
思いもかけない言葉に驚いている妹をよそに、楓の髪に簪を挿した。
「ほら、やっぱりよく似合うわ」
「…ありがとうございます」
微笑む姉に、反論できない。
しかし、苦い思い出の品を身につけるのは、まだ少し抵抗があった。
「楓様、よろしいでしょうか」
そのとき、葵が部屋を訪れた。
「どうぞ」
「失礼します。お茶をお持ちしました。よろしければ、桜様もどうぞ」
その手には、二人分の茶器が用意されている。
桜に簪のことを話し、様子を見るためにお茶を持ってきたのであった。
「ありがとう、葵。ねえ、この簪、楓によく似合っていると思わない」
「そうですね…よく、お似合いだと思います」
姉と侍女、二人に言われたが、普段、装飾品を身につけない自分が、簪をつけるのは変に思われないだろうか。
「ね、葵もこう言ってるし。せっかく綺麗なのだから、使わなければもったいないわ」
「楓様は少し、質素なお召し物が多いですから…」
「…わかりました」
その後、楓の髪には常に、紅い花の簪が見られるようになり、後に彼女は、「紅い花の領主」として、名を馳せるようになるのだが、それはまた、別の話である。
(2013年5月13日)