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  第3話 赤い花

 

暁はたびたび、屋敷を訪れた。
それはいつも、桜が一人であったり、楓と二人きりのときであった。
いつの間にか現れ、一瞬のうちに消えている。
そんな芸当は普通の人間にはできないであろう。
だからこそ桜は、暁のことを誰にも言わなかった。
楓も姉に倣い、二人きりのときにだけ、かの人を話題にするようになった。

亡き母に似て病弱な娘を心配してか、父の命で二人は自由に外に出られなかった。
むしろ、屋敷から出ること自体が非常に稀であった。
それを知ったからか、暁は二人を外に連れ出すようになった。
ある日は、一面に花の咲く広い草原。
またある日は、涼しげな小川のある林の中。
別のある日は、眼下に人里を望む高台。
そしてその日は、小屋の中だった。

前日、楓に付き合って強い日差しの下に長時間居たためか、桜は少し体調を崩していた。
体を起こせないほどではないが、妹に心配をかけるわけにはいかない。
侍女に面倒を見るように頼み、一人で部屋にいた。
日差しが入らないよう、御簾が下ろしてある。
部屋の中は薄暗く、風が通らないためか、少し空気が澱んでいる。
脇息にもたれ、ぼんやりとしていた桜に、背後から声をかけるものがいた。

「大丈夫か」
「ああ、暁様…申し訳ありません、お見苦しいところを」
「いや…気にするな」

振り返り姿勢を正そうとした桜を手で制した暁は、いつも全く変わらない。
雪の積もっている冬も、今日のような暑い夏も、同じ白い装束をまとっている。
それでも汗ひとつかかないのは不思議だが、何故か暁ならば…と納得もいく。

「手を出せ」
「…?はい」

暁は楓が出した手を握る。
強い風が吹いた。
御簾が大きく揺れる。内側から、外側へと。
やがて御簾の動きはとまったが、部屋の中には、誰もいなくなっていた。

 

風が止んだのを察して桜が目を開くと、どこか、建物の中であった。
窓もあるようが、昼間だというのに燭台に火が灯されている。
その灯りがなければ、人の顔も見えないほどの暗さである。
そしてどことなくひんやりとしていて、急に季節が変わったような気がした。
息苦しいほどだった暑さがなくなり、桜はほっと、息を吐いた。

「ここは…」
「俺の住処だ。…少し待っていろ」

自分が今どこにいるのかもわかっていない桜を一人残し、暁は小屋を出て行ってしまった。
改めて周りを見る。目が慣れ、少しずつ部屋の中の様子が見えてきた。
調度品はほとんどなく、がらんとしている。
窓や入り口も木枠のみで、さえぎるものは何もない。
人が住むのに適しているとは思えないが、暁はここに寝泊りしているのだろうか。
寝ている姿が想像できなくて、思わず桜は小さく笑みを浮かべた。

ふと部屋の隅に紅いものがあるのに気がつく。
壁に一枚の板を打ち付けただけの棚の上に、無造作に置いてある花の色であった。

「綺麗…」

鮮やかな花に吸い寄せられ、楓は手に取った。
真紅の花弁はまるで、彼女の大切な妹の目のようである。

「気に入ったのか」

突然かけられる声にも、もう慣れていた。
戻ってきた暁の手には、どこかで見たような柄の布がある。

「はい。楓の目のようで…あ、申し訳ありません、勝手に…」
「いや。ここで一番美しい花だ。…気に入ったのなら持って帰れ」
「ですが、大事なものでは…」
「構わない。俺はいつでも手に入るが、人間が入るには厳しい谷に生えているからな」
「…ありがとうございます、暁様」

桜は手の中の花をそっと握る。
切り花だから、そう長くはもたないだろう。
それでも大切にしようと思った。

「少し貸せ」
「え…この花を、ですか」
「ああ」
「どうぞ…」

意図は分からないが、手の中の花を差し出す。
暁が手が花びらに触れた。
すると、花に淡く光がともる。
手を離すと光は消えてしまったが、どことなく花は生気を回復していた。

「これでお前が手放すまで枯れることはなかろう」

そう言って暁は、片手に持っていた布を桜の肩にかけた。
もう少し涼しくなった季節に着る、自分の服であった。
部屋の隅の箱の中にしまってあるはずの物が、ここにある。
暁といると、驚くのに事欠かなかった。

「ありがとうございます」

花を一旦、棚に戻し、渡された着物を羽織る。
屋敷にいるときは暑さに苦しんでいたが、ここは少し冷える。
何でもできる暁が、自分のことを気遣ってくれるのが、気恥ずかしく、また、嬉しかった。

「楓も、もう7つになるのだな」
「あの子に会ったのですか」
「ああ。留守番をするよう言っておいた。不服そうだったがな」
「まぁ…」

拗ねている妹の顔が目に浮かぶ。
仲間はずれにされた、と唇を尖らせているかもしれない。
普段、聞き訳の良い楓が、そうやって自分の気持ちを表に出すことは珍しかった。

「俺のことが気に入らぬのであろう」
「そんなことはありませんよ」
「…甘やかしすぎではないか」
「お父様が厳しいですもの。…私ぐらいは」
「我侭を言うようになっても知らんぞ」
「構いません。…あの子はもっと、多くを望んでもいいと思うのです」
「…そうか」

どこか含みのある相槌に、桜は暁の顔を見た。
金色と、目が合う。
暁の手がそっと髪に触れた。

「…早く願いを決めろ。…また、聞きに行く」

 

ふっと、地に沈むような感覚があり、気が付けば自分の部屋の前にいた。
今まであまり言われなかったので忘れかけていたが、暁は願いを聞くために、自分に会いに来ているのである。
いつまでも、決めないままではいけないのだろう。
しかし、今のままがいい。
時々会いに来て、遠くへ連れて行ってくれる存在がいなくなるのは、嫌だった。

「…楓だったら、どんな願いを言うのかしら」

障子を開け、部屋に入る。
外は相変わらず明るいが、御簾ごしによく知っている人影が見えた。

「楓」

声をかけながら、簀へと出る。

「ごめんね、お留守番をさせてしまって」
「姉様、お帰りなさい」

とりあえず今は、待たせてしまった妹と話をしたかった。
帰り際に、暁が髪に挿してくれた花も見せたい。
自分の目を嫌っている楓だが、これを見れば気持ちが変わるかもしれない。

夏の盛り。
蒼い空に太陽が輝いていた。

 


(2013年4月27日)

 

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