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  第4話 忠告

 

その後、多いときは月に一度ほどの頻度で現れていた暁が、全く姿を見せなくなった。
桜が願いを決めるつもりがないことを悟ったのかもしれないし、他の理由があるのかもしれない。
元より、かの人が自分たちと距離を取ろうとしているのは、薄々感じていた。
もう会えなくなるのは嫌だったが、自分にはどうすることもできない。
桜はそう考えたが、まだ幼い楓は違った。

毎年、二人の誕生日の前後には必ず訪れていた暁が来なかった、最初の秋。
夜中に一人で屋敷を抜け出し、捜しに行ってしまったのである。
朝、侍女が声をかけに行くと、寝室がもぬけの殻だったので大騒ぎになった。
自分の意思で出て行ったのか。それとも誘拐なのか。
無事でいるのか。どこにいるのか。

しかし、不在に気が付いてから一刻ほどで、楓は帰ってきた。
どこをどう歩いたのか、手足も着物も、土でひどく汚れ、衰弱していた。

桜は、暁のことを説明しなかった自分を責めた。
楓はまだ幼い。それでもきちんと話すべきだったのだ。
…暁は、もう来ないかもしれないということを。

楓は一人で帰ってきたのではなかった。黒尽くめの人物と一緒だった。
どうやら、帰らないと主張した彼女を説得し、屋敷まで送ってくれたらしい。
父は礼をして終わるつもりだったが、楓が反対した。
安静にさせようとする侍女を振り切り、自ら父に願い出たのである。
父が楓や彼(あるいは彼女)と、どんな会話をしたのかは知らない。
最終的に、忍として楓の傍に付くことになったことだけ、知らされた。
普段、まったく口をきかない存在と、どのように意思の疎通をしているのか。
そもそも、男なのか女なのか。
それすら不明だが、鴉と呼ばれるその人が、楓を大切に思っているのはすぐにわかった。
ふとした目線や仕草。楓の傍で控えているときの立ち位置。
何かあればすぐに助けることができるようにしているのである。
今まで自分の一番は楓で、楓の一番も自分だという自覚はあった。
彼女の味方が増えるのは嬉しいが、少し、寂しいような気もした。


そんな行動力のある楓の才能は、成長するにつれて開花していった。
真面目な性分から、多少無理をしすぎることもあったが、勉学だけでなく、武芸や馬術も積極的に学んだ。
女であっても、領主の娘ならば武道の心得もある方が良い。
しかし楓は、並みの男よりも強くなっていた。

一方桜は、ますます母親に似てきていた。
美しさに磨きがかかり、屋敷に勤めている者でも、時折、見とれてしまうことがあった。
しかし、見た目以上に似てしまったのは、体の具合であった。
元々、あまり丈夫な方ではなかったが、季節の変わり目や、暑さ、寒さの厳しい時期は病に伏せることが多くなった。
楓は姉に無理を強いるのを嫌がり、あまり部屋を訪れなくなり、桜も、心配をかけまいと、距離を置くようになる。

その頃から、ある動きがあった。
長女である桜ではなく、楓を跡取りにしようとする流れである。
周辺の領地はここ数十年、特に争いもないが、遠くの地では大勢の犠牲を出した戦もあったという。
体の弱い領主では、いざ戦となったときに不安である。だから妹である楓に。
それに反対するように、桜を推す人々もいた。
真面目だが人と触れ合おうとしない楓より、穏やかで人当たりの良い桜の方が領主にふさわしい。
そもそも、姉を差し置いて妹に跡を継がせるのはいかがなものか、という意見である。
中には桜に対して直接文を出し、真意を問うものもいた。
一見、穏やかな屋敷の中で、様々な思惑がぶつかっていたのである。

そんな中、桜が十八の誕生日を迎えた。
本来なら、成人してもおかしくない年である。
しかし、家臣の意見が分かれている中、後継者選びを慎重に行うためには、楓の成長を待つ必要があった。

祝いの宴も恙無く終わり、少女は一人階に腰掛け、庭を眺めていた。
朧月に照らされた木々は、芽吹くにはまだ早いため、物悲しさが感じられる。
ふわり、と風に乗って白い物が少女の膝に落ちた。
桜の花びらであった。
この場所からは見ることが叶わないが、妹の部屋の前で、立派な花を咲かせている。
もしかしたら、妹もこの花を見ているかもしれない。

宴の余韻もあってか、久しぶりに妹の部屋を訪ねようと、桜は腰を上げた。
雲が流れて月が庭を青白く照らす。

「桜」

自分を呼ぶ声に、少女は振り返った。
先ほどまで誰もいなかった庭に、白い人影がある。
思わず、自分の目を疑った。
急に人が現れたからではない。それが、自分の知っている人物であったからである。

「暁様…」

その場で立ち尽くす桜。
最後に会ったあの日から、5年近くたっている。
しかし、やはり暁は何も変わっていないようであった。

「願いは決まったか」

はっとした。
暁はそれを聞きに来たのだろう。
望むことはある。
…しかし、それを口に出すことはできなかった。

「いえ…」
「そうか。…辛くはないか」

その問いに、俯いていた桜は顔を上げた。
あれからずっと、会っていない。
それでも静かな暁の顔を見て、全て知ってるのだと悟った。

「…大丈夫、です。私は領主の娘。…仕方の無いとこですから」
「そうか…願いが決まったら、俺を呼べ」

ふわりと袖を翻し、暁は背を向け、そのまま消えた。
素っ気の無い口調だったが、桜は暖かな気持ちになった。
最後に、「またな」という小さな声が聞こえたからであった。


「姉上?」

またしても思いがけない声に桜は振り返った。
少し離れたところから、小走りに近づいて来たのは、楓であった。
驚きを隠し、穏やかに問いかける。

「どうしたの?怖い夢でも見た?」
「…もう、そんなことで姉上の手をわずらわせたりしません。…姉上こそ、眠れないのですか」

いつしか、楓は姉のことを「姉様」ではなく「姉上」と呼ぶようになっていた。
呼称の変化がそのまま、心の距離を表しているようで、本当は戻してほしい。
しかし、早く大人になろうと必死な妹の様子を知ってる桜は、それを伝えることができなかった。

「いいえ…春を、感じていたのよ。楓は?」
「…姉上と同じです。庭の桜が美しくて…その…」

珍しく言いよどんだ楓の様子に、桜は首をかしげて促す。

「どうしたの」
「…ご迷惑かと思ったのですが…あの…」
「なに?」
「…姉上と一緒に、見たいと思いまして。今日は宴でしたし…もし、もし起きてみえたら声をかけよう、寝てみえるなら起こさないようにしようと…思ったのですが…」

段々と小さな声になっていく。
変わらない妹の様子に、桜は思わず笑みを浮かべた。

「そうね、では、行きましょうか」
「…いいのですか」
「もちろん。私も楓に声をかけようとしていたのよ」

自分の行動が姉の迷惑になっていないとわかり、楓もやっと、口元を緩める。

「ありがとうございます」

周りがどれほど変わっても、自分の気持ちは変わらない。
楓が大切。
それが分かっていれば、この先、何があってもいいのではないか。
再び雲に隠れつつある月を見上げ、少女はそう思うのであった。



(2013年4月29日)

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