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第4話  社

 

山の中の道である。
いつの人が作ったのであろうか、苔むした石畳の道を、一人の少女が歩いている。
その後方に、黒ずくめの人物が続く。
完成してから、かなり時間がたっているのであろう石畳は、所々ひび割れていたり、お世辞にも、女性が歩きやすいような道ではないが、二人に、それを気にする様子はない。
そんな少女の足が止まった。
どうやら懐になにかいるらしい。
動いているものが、着物の隙間から顔を出すと、少女の足元に降りた。
茶色の小さな栗鼠である。
何かが気になるのか、空気中の匂いをかぐと、小さな体で走っていった。
それを慌てるでもなく見送った少女は、先程までと同じ調子で歩き出す。

 

しばらく行くと、石造りの鳥居があり、それをくぐるように石畳は階段へと繋がっていた。
石畳と同様に、何年も人の手が入ってないのだろう。
崩れてはいないが、年月を感じさせる風情であった。
長い石段にも疲れを見せず、少女は登っていく。
いつの間にか黒い人影はどこかへいってしまっているが、よくあることなのだろう、彼女に気にする様子はない。

 

登った先は、神社であった。
石畳の参道と比べると、定期的に人の手がはいっているのか、目立つような破損はない。
むしろ、年月が、神社の品格を増しているようであった。
何本も木が植えられ、落ち着いた佇まいの建物が、板張りの通路で繋がっている。
楓が登ってきたのを確認すると、石段の上にいた栗鼠は、また走っていった。

 

境内では、一人の青年が積もった落ち葉を掃除している。
その足元に立ち止まると、何かを訴えるように、栗鼠は青年の顔をじっと見つめた。
男がかがんで、そっと手を差し伸べると、小さく跳んで、その掌におさまる。

「この栗鼠は、あなたのものですか?」

そう問いかけたのは、不思議な雰囲気の男であった。
おそらく、この社の管理者なのだろう。
落ち着いた口調は、見た目より随分年嵩なように感じさせる。

「いえ…」

笠を外し、楓は小さく礼をとった。

「よく、こんな山奥まで来られましたね。お参りもしていかれますか」
「はい」

一通り、作法に従って礼拝を済ませると、男は、掌に乗せた栗鼠と見詰め合っていた。
その姿は、何事か会話をしているようでもある。
楓が近づくと、そっと栗鼠を地面へ降ろした。
栗鼠は楓の体を駆け上り、肩にとまる。

「…しばらく、この山に滞在されるのですか」
「はい、その予定です」
「そうですか…少し、待っていただけますか」

そう言うと、男は小さな建物へと入っていった。
社務所であろうか、他の建物と比べると、幾分実用的である。
すぐに出てきた男は、小さな紙片を持っていた。

「これを、お守り代わりに持っていってください。…あなたの望みが叶うことを祈っています」
「…ありがとうございます」

頭を下げ、受け取った紙片を小物入れにしまうと、少女は歩き出した。
青年も、箒を手に取り、掃除を再開する。

 

ふと、そのまま立ち去るかと思った少女が立ち止まり、男に声をかけた。

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「…暁、と申します」
「…そうですか。ありがとうございました」
「いえ…道中、お気をつけください。山にはいろいろなものがいますから…」
「…はい」

掃除をしている男を、少しの間眺めていたが、やがて少女は笠を被ると、歩き始めた。
肩の栗鼠がその頬に体を摺り寄せ、甘える様子を見せたが、少女は何かに気を取られているのか、反応を示さない。

 

いつの間にか、箒の音がやみ、男の姿は消えていた。

 

 

幕間 追憶

 

十ほど年の少女が机に向かっている。
小さな手で筆を握り、書き物をしていた。
しかしその筆跡は、子どもらしく、微笑ましいものである。
一枚書き上げると、じっと自分の書いたものを見て、少女は小さく溜息をついた。
満足のいくものではなかったのだろう。
新たな紙を用意すると、再び筆を手に取る。

 

部屋の外から、軽い足音が聞こえてきた。だんだんとこの部屋に近づいてくるようである。
気がついた少女は手を止めると、筆を置いた。

障子を開けて入ってきたのは、姉である桜であった。
手にはお茶や皿に入った菓子を持っている。

「姉さま、どうしたんですか?」
「楓がずっとお勉強しているから、応援にきたのよ。あまり根をつめてはいけないわ」
「でも…」
「息抜きしたほうが、上達も早いわよ。姉さまの言うことを信じなさい」
「…はい」

そう言うと、楓は不服そうに道具を片付け始めた。
傍らに、持ってきたお盆を置いた桜も手伝う。
ふと、桜が書きかけの紙を手に取った。

「姉さま、見ないでくださいっ」

自分の筆跡を恥じたのか、少女は紙を姉の手から取り返すと、小さく畳んでしまった。
そんな妹の様子に動じることもなく、姉は声をかける。

「あら、私は美しい字だと思うけれど…」
「お世辞はいりません…姉さまの文字とは、全然違うもの…」
「それはそうよ、書いている人が違うのだもの」
「…でも、私は姉さまのような、柔らかい文字が書きたいのです…」
「そう…」

妹の言い分に、困ったように考え込んだ桜だったが、何事か思いついた様子である。

「楓、あの方の文字を見たことがある?」
「あの方の…?いえ…」
「実はあの方にも苦手なものがあって…ほら、これを見て」

そう言うと、懐から小さな巾着袋を取り出した。
ふわり、とかぐわしい匂いが漂う。
中には小さく折りたたまれた紙片が入っていた。

「なんですか、これ…」
「あの方が書かれた御札ですって」
「えっ?」

広げられた紙片に書かれていたのは、とても独創的な筆跡の文字であった。
一見すると、絵のようにさえ見える。

「あの方はやはり、人とは違うでしょう?だから、文字を書くことも少なくて、苦手なんですって」
「そう…なんですか…」

少女は気まずそうにしている。
自分の文字も、子どもらしく、読みやすいとは言いがたいものであるが、この文字はもっと…はっきり言うと、読みにくい。
しかし、そんなことは口がさけても言うわけにはいかない。

「万能だと言われるあの方にも、苦手なことがあるのよ。楓だって、焦る必要なんかないわ」
「姉さま…」
「さ、お茶にしましょう。今日のお菓子は、城下から取り寄せたものなのよ」

笑顔の姉に、楓の表情も柔らかくゆるむ。

「…はい、楽しみです」

微笑みあう姉妹には、未来への不安など、何もないようであった。

 


(2013年4月15日)

 
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