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  第5話 決意


その半年後、楓が十三になる誕生日を控えた秋であった。
再び、後継者をどうするのか、家臣の意見が分かれた。
そして一部の者が、楓を成人させ、跡継ぎとしてお披露目すべきだとまで言い出したのである。

確かに、十二、十三で成人することは珍しくなかった。
先の領主が急死したため、十になった途端、成人をするという例もある。

しかし、五つも年上の姉がまだであるのに、妹を成人させるというのは、あまりに桜をないがしろにする発言であった。
人々はその家臣を「非道だ」「情がない」と責めた。
しかし、桜はそんな周囲を諌め、何の反応も示さなかった。
そんな過激な意見の裏に、この領地を思う気持ちがあるのを、知っていたからである。

以前から何度も真意を問う手紙を出していた男は、楓と争いたくないという桜の気持ちを汲んでくれた。
そして、後継者問題の決着をつめるために、そのような案を出したのである。
これまで何度も、自分の知人をあたり、良い縁組も探してくれていた。
しかし、屋敷から、ひいては楓から離れたくなかった桜が、その全てを断ったのである。
これまで、その男にしか、楓と後継争いをしたくないという気持ちを伝えたことはない。
しかし、いつまでも黙ったままではいられないだろう。
体が弱い自分にも諦めることなく、さまざまなことを教え、見守ってくれた父に、言わなくてはならない。
…期待を裏切る心苦しさがあった。

珍しい桜の訪問にも、父は少し、眉を上げただけであった。
手元の書状に目を戻したまま、桜に問う。

「どうした」
「…お父様にお話ししなければならないことがあります」

改まった桜の様子に、顔を上げた。
これから自分の言うことが、どれほど父に衝撃を与えるのか。
それを考えると舌が鉛のように重かった。
しかし深く息を吸うと、ゆっくりと口を開く。

「…私は領主にはふさわしくありません。楓を後継にすべきだと思います」

言った。
しかし、父の反応はあっさりしたものだった。

「そうか。ならば楓に跡を継がせよう」

そう言って、目を手元に戻す。
予想外の結果に、思わず桜は問いかけた。

「よろしいのですか?」
「…自分でやらぬと言っているのに、無理強いするわけにはいくまい。…幸い、楓を支持する動きもある。問 題ないだろう」

そんなはずはない。
もし父が本当に楓を跡継ぎにするつもりなら、家臣の意見が割れるようなことはなかった。
迷っている様子を見て、二人をそれぞれに持ち上げていたに違いない。
だが、それ以上、何も言えなった。
迷惑をかけているという自覚はあったからだ。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いや」

短く答え、父がこちらを見た。
厳しいが、同時に優しい父であった。
体調が悪い自分のため、珍しい品物を見舞いに寄越したこともある。
差出人は隠されていたが、いつも父だとわかっていた。

「…これから、どうするつもりだ」
「…わかりません。ただ、楓に幸せになってほしいと思います」
「そうか…。次の定例会で楓を跡継ぎとすることを発表する。来年、お前の成人の儀を行うよう用意させる。…それまでに、身の振り方を決めるといい」

父の言葉に頭を下げ、桜はその場を辞した。
これで、跡継ぎは楓に決まるだろう。
そうなれば、争う必要はなくなる。
自分はきっと屋敷を離れることになるだろうが、妹が幸せならば、何も問題はなかった。


そして冬になり、予定通り家臣の前で楓を後継とすることが発表された。
一番驚き、反対したのが、その場に呼び出された楓であった。
彼女は、桜が跡を継ぎ、自分はその補佐をするのだと主張した。

「決まったことだ。桜もそれを望んでいる」

父親の無情な言葉に耐え切れなかったのか、楓はその場を飛び出した。
家臣たちは、急な話に落ち着かない様子で、小声で周囲の者と話していた。

その頃、桜は自室で床についていた。
急な寒さで、体調を崩してしまったのである。
しかし、特に病ではないから、周囲に人はいなかった。
うとうとしていた桜の耳に、屋敷のざわめきが聞こえた。
定例会のある日は、常より賑やかである。
しかし今の落ち着かない雰囲気は、何か、違うようであった。
もしかしたら、楓に何かあったのかもしれない。
父の言っていた定例会は、今日だ。その場に楓も呼ばれたらしい。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなり、手近にあったものを着ると、部屋の外に出た。

庭に面している簀は、凍るような冷たさだった。
先ほどまで部屋で温められていた手足が、一気に冷える。
嫌な寒気もしたが、今は妹である。
何となく、楓は庭にいるような気がした。
少し足を速めるだけで息が切れる。
しかし、肩を震わせ、俯く妹を見つけると、そんな体の苦しみはどこかへ消えた。

「楓っ」

しかし、息が上がっているのはどうしようもない。

「姉上、大丈夫ですか」

自分が大丈夫ではない顔をしているのに、人のことを心配する。
そんな楓を、桜はなんとしても幸せにするのだと、改めて心に決めたのであった。




揺れる気持ちを固め、歩いていく妹を見送る。
何度も呼び止めようと思った。
だが、必死でこらえた。
大切な楓のために決めたことである。
どれほど苦しくても、耐えなければならなかった。

冷えた頬を涙がつたう。
母が死に、楓を守ると決めた日から、一度も泣いたことはなかった。
姉として、妹を守るため、と強くなろうと必死だった。
…しかし、それももういいだろう。
楓はきっと、強くなる。
立派な良き領主となり、皆を導くだろう。
降り始めた雪に気を払うことなく、ただそこに、立ち尽くしていた。

 


(2013年4月30日) 



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